ひとりごと
『サツマイモ』のルーツ
『サツマイモ』のルーツ
知っていますか『サツマイモ』のルーツ
『サツマイモ』が沖縄から鹿児島(種子島)や全国に広まったこと知っていますか。
沖縄(琉球)には(一部離島を除く)1604年に中国(明)から伝来し『唐イモ』と呼ばれていました。
琉球人は中国から頂いたことに感謝して『中国のイモ』という意味で『唐イモ』と呼びました。
今でも
鹿児島やそのほかの産地でも『カライモ』と呼ばれている地域もあります。
私も小学校に入るまでは『唐イモ』と呼んでいました。
ウィキペディア
1609年(琉球暦万暦37年・和暦慶長14年)、薩摩藩の島津氏は3000名の兵を率いて
3月4日に薩摩を出発し、3月8日には当時琉球王国の領土だった奄美大島に進軍。
3月26日には沖縄本島に上陸し、4月1日には首里城にまで進軍した。島津軍に対して、
琉球軍は島津軍より多い4000名の兵士を集めて対抗したが敗れた。4月5日には
尚寧王が和睦を申し入れて首里城は開城した。
この侵攻の後に貢納が義務付けられた。
唐芋(サツマイモ)・チキアギー(揚げかまぼこ)・泡盛(焼酎の元となる)なども
その際に持ち帰られた。
琉球は守禮の国・和を重んずる国
基本的な武器は保有していなかった、それに対して刀や鉄砲などの武器を保有する
薩摩藩の進行に対しては為す術もない状態だったそうです。
薩摩による琉球侵攻





